島原大変で城下町は未曾有の被害を受けたが、同時に街中の至る所から清冽な地下水が湧きはじめた。以来200年余り、島原は「水の都」として豊かな湧き水と共に人々の営みを育んでいる。
島原駅からほど近いアーケード街を歩くと、商店の店先のそこここに意匠をほどこした湧き水のモニュメントが飾られ、それぞれの店の屋号をとって「○○の泉」と名付けられている。いずれも地下から自然に湧き出す自噴の井戸だ。地元の買物客が備えおきの柄杓(ひしゃく)で喉を潤していくので一口飲んでみると、爽やかな口あたりと甘みが感じられる。深山幽谷ならぬアーケードの中で、こんなにうまい水があふれ出していて良いのだろうか。
「以前は魚売りのお婆さんが側溝の水で魚を洗ってましたよ。ときどき観光客が落っこちるので、今は蓋をしておりますけどね」
店先から水が湧き流れるブティックのご主人が語った。アーケードの側溝を流れる水も、市役所が水質検査したところ、そのままでも飲める「名水」だったそうだ。夏は打ち水にも使われるが、ほとんどは「名水」のまま有明海へと流されていく。

江戸時代の建物が当たり前のように見られる街並みの中に、古い金物店の脇を流れる小さなせせらぎがあった。店の奥の中庭をのぞくと茶房があり、手打ち蕎麦やコーヒーが注文できる。澄んだ水が湧く池の畔ではイシガメがのんびりと甲羅干しをしていた。 「庭も建物も築140年です。この川の水源は昭和30年代に私の父が職人に掘らせた深井戸ですけどね」
「猪原(いのはら)金物店」の主人、信明(のぶあき)さんが語った。水道法が制定され、島原市内にも水道が整備された当時、「カルキ臭い水を飲むなら自前でボーリングした方がまし。30年も水が出れば工事代の元は取れる」と市内のあちこちで深井戸が掘られたそうだ。それまでの浅井戸は雑菌が検出され、生活用水としての水質基準を満たせなくなったからだ。
「地下110mの水脈を掘り当てて以来40年、毎分150Lもの水が湧き出てますが、使いきらんのです」
もったいないので街づくりに活かそうと考え、10年ほど前に誰もが飲める水飲み場と、憩いの場になる川のせせらぎを作り、「速魚川(はやめがわ)」と名付けた。普賢岳の噴火活動がようやく終息したものの、街の人々も疲れて力を落としていたころだ。
以来、速魚川には自然にやってきたカニや魚が棲みつき、ホタルが舞う姿も見られるようになった。
「側溝に流している水も、もっと人の目を楽しませる工夫をした街づくりができたらと思うんですよ」
と語るご主人。街中にホタルが舞う季節の島原を、またぜひ訪ねてみたいものだ。
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▲島原城の西側にある「武家屋敷跡」。長さ400m余りもの街路の中央でかつての生活用水路が今も流れています。

▲山中の庵を思わせるような湧水の水場がアーケードの 中で爽やかな水音をたてていました。

▲アーケードのそこここにある湧水のモニュメントは、 野菜売りなどの洗い場としても活用されています。 |