まるで冬の色を思わせるような蒼さの中で、ゆっくりと湖畔の夜があけていく。周囲の山々は白い雲の中に覆われ、モノトーンの湖畔の風景の中で、少しずつ、森や、湖の小島の樹々の緑色が浮かび上がってくる。
本州の地図の北端近くに目をやると、約束の目印のように丸く示されている湖、十和田湖。充分に大きく広いけれど、その湖畔に立てば自分と湖の全容をひとつの風景の中に置くことができる。「山は富士、湖は十和田、ひろい世界にひとつずつ」と明治の文人・大町桂月に賞賛された理由は、そんな風景との一体感を得た旅の記憶が、遠く離れた日常の暮らしとの距離を縮めてくれるからなのかもしれない。
グランマム・ヘミングウェイ
夜明けから間もない時刻なのに、湖畔のカフェに明かりが灯り、店の中に人影が見える。肌寒い朝の風の中を歩いていたので、半信半疑で店の扉を開けると、コーヒーの香りが漂ってきた。
「朝の散歩をする旅の人が多いですからね、店は5時からあけています。釣りの解禁シーズンは夜中の2時から。ここで釣りの仕度をしてから舟で出ていくお客さんが多いんです」
店の名前は『マリーナ』。78歳になる女将が、30年も前からこの小さなマリーナで営業を続けている。
「毎日、好きな本を読んで、音楽を聞いて、絵を描いて、思うとおりに暮らしているわ。ここでは月に5万円もあれば、工夫しだいで楽しく暮らせるのよ」
夏は釣り、冬は鉄砲で猟もするが、それは趣味ではなくて暮らしの一部だという。6月は店の前の桟橋でサクラマスが釣れるし、1メートルを越えるコイも仕留めたという。猟の獲物はウサギやカモ。昔はカモシカやハクチョウも撃って食べたそうだ。
「ここはメニューに載ってないものは全部タダですよ。よかったらどうぞ、召し上がってください」
常連客の年配女性たちが、家の畑でとれた野菜を料理して持ち寄り、勧めてくれる。カボチャの煮物やナスの炒め物、キュウリの漬物をいただきながらコーヒーを飲むと、すぐに水の美味しさが判った。山の中腹から湧く水が水源の水道水を、そのまま使っているそうだ。
「昔は湖で洗濯もしたけど、今でも水は汚れたとは思わないね。でも、砂浜が減ると自然の浄化作用が弱くなるかもしれないわね」
店の前の水際に立つヤナギの木を指し、30数年前はそれよりも低いところにヤナギの木が並んでいたという。農業や発電のために湖岸に水門を設けて水を貯めるようになってから、5月になると水位が上昇し、湖岸の樹々や砂浜を洗い流してしまうようになったのが気になるそうだ。
カウンターの奥に、美しい女性の古い写真があった。昔の女優だろうかと思いつつ眺めていると、やがてそれは半世紀近く前の女将の写真であることに気がついた。永く十和田の湖水を眺め続けてきた瞳は、静かな力強さをたたえていた。
湖水が育む美味し魚
朝の湖畔の浜辺に、次々と漁師の小船が戻ってくる。十和田湖特産のヒメマス漁の船だ。サケの仲間の中でも最高級とされるベニザケが淡水に陸封されたヒメマスは、明治時代に北海道から十和田湖に移植され、本州で最初の特産地となった。火山の火口跡にできたカルデラ湖の十和田湖には、もともと魚がほとんどいなかったが、このヒメマスの移植で漁民の営みが生み出された。
小船のひとつから降りてきたのが、79歳の金村春治さんだった。14歳のときからヒメマス漁に携わっているという。なんと65年ものキャリアだ。
「漁師の一代記でも書けばという人もいるけど、書くこともできないから毎日漁に出るしかないね」と笑う。
ヒメマス移植を成功させた和以内貞行(わいないさだゆき)の二代目に仕えて漁をしていたという。まさに歴史の生き証人だ。
ヒメマス漁で漁師に許されている漁具は幅50メートル、高さ4メートルの刺し網一枚だけ。広い十和田湖の中では手ぬぐい一枚で漁をするようなものだ。
「季節やその日の気候で変わるタナ(魚がいる水深)を見定めるのが決め手だね。水温や風を頼りに考えて網を仕掛けるんだけど、まあ若い人には難しいと思うよ。真似はしているんだけどね」
クーラーボックスの中を見せてもらうと、白銀色に輝く美しい魚体が見事な腕前を物語っていた。ヒメマスは漁獲量が少なく、都市部で流通することはまずない。淡水魚の中で最上位とされるその美味は、産地の宿か湖畔の食堂でないと味わえないのである。
そのヒメマスを金村さんにご馳走になった。真夏も冷たい湖の深い層でプランクトンを餌にしているヒメマスは、刺身も、塩焼きも、まるでクリームのように舌にとろける味わいだった。
十和田湖の御前ケ浜に立つ「乙女の像」。詩人・高村光太郎の彫刻家としての最後の作品で、妻の千恵子がモチーフになっていると伝えられている。
夜明けの十和田湖。蒼いしじまの中から、ゆっくりと風景が浮かび上がってくる。
湖畔で民宿「椿山荘」を営む金村春治さん。十和田のヒメマス漁の歴史の生き証人だ。
とろけるような味わいのヒメマスの刺身。湖に閉じ込められたベニザケの味は旅先でしか味わえない。
十和田湖の景勝を周回する湖上遊覧船。乙女の像のある休屋(やすみや)と奥入瀬渓流の最上流部にあたる子ノ口(ねのくち)を結ぶ線もある。
?http://www.lakeship-towada.co.jp/

- 奥入瀬渓流ホテル
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所在地:青森県十和田市大字奥瀬栃久保231
※ 東北新幹線 八戸駅から車で1時間10分
JR八戸駅より無料送迎シャトルバス有り(利用の際は事前に要予約)
JR八戸駅発[13:15]→奥入瀬渓流ホテル着[15:00]
電話番号:0176-74-2121
宿泊料金:大人1泊2食付で最低9600円から。夜は星空、朝はすがすがしい空気に囲まれながら食すカップルプラン:渓流側の和室・洋室が2名1室で26400円。他にもさまざまな宿泊プランがある。様々な温泉施設の他、レストランに設置された岡本太郎の遺作の暖炉「河神」が圧倒的な迫力で迎えてくれる。
●奥入瀬渓流ホテル公式サイト
http://www.oirase-keiryuu.jp/



